メディアの記事は企業寄り

クックパッド炎上の件について、以下のような記事があった。

「レシピ投稿」の信念を捨てる暴挙で炎上…「生姜焼きだけで1.7万件」クックパッドが「料理×AI」で逆転する方法 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

別に内容についてはそんなに異議があるわけではないのだが、本文の端々にユーザ軽視、権威主義的なものを感じて、苛ついてしまった。AIの出力とよく似ていて、なんだろうね。その一方でタイトルは「暴挙」という強い言葉を使ってユーザの目を引こうとしている(タイトル考えたのは筆者じゃなさそうな気もするけど)。

なんだかな。

目次

イライラポイント

取り上げた記事は、クックパッドの新機能がなぜ炎上したのかの分析、また代替案の提案、という構成だ。炎上した機能はURLを指定するとレシピを取り込み、AIが整理するという機能であるらしい。で、これはAIを使ったフリーライドということで炎上したとのことで、それ自体はまぁいいし、その分析についてなにか異を唱えたいわけではないのだが、言葉選びがいちいち気にかかった。

「意図が伝わらず」「感じさせた」「良かれと思って」

しかし、この意図が伝わらず、むしろ「開き直り」だと感じさせたことが、いまなお炎上が続く原因の一つといえるだろう。

意図が伝わらず、というのは暗に企業側の意図とやらについて、疑っていないのだよな。でも実際には、企業の意図はわからないはずだ。人の心が読めないように、企業の腹の中もわからない。わかるのは発表された文字だけだ。だから、僕ならこう書くだろう。

「しかし、このクックパッドの説明に対し、ユーザからは「開き直り」だと受け止められたことが」

クックパッドの意図が本当かかどうかは読者の解釈に委ねるべきなので、これについては「そのように説明した」以上の踏み込みはできない。またユーザの応対も、感じさせたのような感覚的な言葉は、やや穿った見方かもしれないが、ユーザの感情を矮小化している気がする。受け止めた、のように態度を書くべきだろう。

AIの謝罪風出力でよく「そのような意図ではなかったが、あなたにそう感じさせたとすれば(あなたの感情のせいなんだけど)申し訳ない」という余計に腹の立つ出力があるのだが、それを想起させる書き方だと思った。

意図に関する表現では下記のようなものもあった。

たとえ“良かれと思って”が動機だとしても、結果的に利用者に不利益を与える可能性があれば、批判は免れないということだ。

「良かれと思って」とのことで、随分と肩入れした仮説をたてるなと思う。AIもそうで、良き意図を仮定として置きたがるんだよな。

「印象を与えかねない」「思わせてしまうと」

ただ、肝心なコンテンツそのものは、ユーザー頼みになっていることから、「人任せ」のような印象を与えかねない。

これはユーザ投稿型コンテンツの一般論についてなのだが、あくまで「印象」の問題である、つまり実態は問題ない、という感じがする。まぁそれは個人の意見なので別にいいんだが、そういうスタンスか、とは思う。

今回のレシピスクラップのように、他人のコンテンツを利用するとなれば、なおのことそうした印象が強くなる。

ここも「印象」である。「印象」が問題なのだ。

下記も似たような表現である。

どこか顧客を横に置いた“利益ファースト”ではないかと思わせてしまうと、あまりイイ方向には進まない。

「思わせてしまう」ことが問題、というわけだ。

このような表現を連発して書かれると、「本当はそうではないのだが」と言いたいのかと勘ぐってしまう。

「感情論からの反発」

レシピのURLを貼り付けることで、AIが内容を抽出する仕様には、「人の気持ちがこもったレシピを、情報として機械的に処理している」と、感情論からの反発が出やすい。

ユーザの反発は感情論であるらしい。まぁここで挙げられた例は実際のところ外形的に問題があるとは言いづらいところがあるため、感情論という言葉を当てはめることは必ずしも間違いではないかもしれないが、しかし一般的に「感情論」にはそれ自体ネガティブな響きがある。倫理的な批判を感情論といって良いものだろうか?企業については良き意図を仮定するのに、と思うとその態度に非対称性があるように思われる。

なぜ苛ついたのか

なんで苛ついたのかなぁと思ったけれど、「企業」の意図もモデルも正しい、しかしユーザの「印象」「感じさせられたこと」という感情論からくる反発を考慮しよう、って感じで、なんか企業目線なんよな。おっと、企業目線であるかのような印象を感じさせられました!……ねぇ、これはやな感じの言い方でしょう。

「企業の意図や実態が伝わらず、ユーザが感情的に違うと感じさせられた」ことが問題なんですか。じゃあ、悪いのはユーザじゃないんですか、感情論なんですから。企業がやるべきことはひたすら説明を尽くすしかないんじゃないですか、だって意図もモデルも問題ないんですから。

僕なんかはそう思ってしまう。まぁ記事のトーンからいけばユーザの感情論を無視してはいけないという回答になるはずで、完全にすれ違うんだが…。しかしね、企業についてはその意図とやらを尊重する割に、ユーザについては感情的な集合体の現象と言わんばかりの扱いなのはねどうにもな…。

この根本的な違いはなにかというと、「ユーザ」に対するスタンスの違いと思われる。

ユーザは論理的だし、倫理を重視するし、実態を見ているし、きちんと判断して受け止めている。感じさせられる存在ではなく、主体的に考える存在だ。一方で、企業についてはただ資本効率を重視した存在になっていないか?という疑いの目を常に向けている。これが僕の基本的なスタンスとなり、記事とは真逆に近い。

別にどういうスタンスを取るのも自由といえばそうなのだが、現状、メディアや専門家みたいな人の記事がどれも、企業寄りのものばかりで目に余る。恐らく個人の記事では、僕のようにユーザ側にたったものも多くあるはずだが、それが目につきづらくなってしまった、という問題はあるかもしれない。

しかしそれにしても、別にユーザに肩入れしろとは言わないが、企業の良かれと思った意図を前提にする必要がないのは、中立的であるべきメディアとして、そうなんじゃないですかね。

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