以下のような記事がありました。
「エアコンの2027年問題」買えない、直せない未来も 今年の影響は? #くらしと経済 - Yahoo!ニュース
読んでいて、どうにも違和感が生じ、最後のほうは嫌悪感すらありました。
高いエアコンをお得と嘯く専門家
これは2027年4月より、規制が強くなって省エネ性能の高いエアコンしか売れなくなる、ということに対する記事です。これによって、市場から安価なエアコンがなくなってしまうかも、という話なのですが…。
これについて、いきなり「実はお得」だといいます。
本体価格ではAPFが高いエアコンのほうが8万5000円高いが、年間の電気代では約1万3000円安くなる。安蔵氏は「エアコンは壊れない限り10年ぐらいは使い続けるもの。10年間というスパンでみるとかなり大きな差になる」としている
エアコンは10年壊れないという新説があるのでしょうか。そもそも、エアコンをどれくらい使うかは各家庭によってまったく違います。私は在宅のため夏場はほぼ1日中つけっぱなしですが、部屋は狭いし、また冬場は一切暖房機能を使いません。家計管理を自分の所得ではなく日本の平均所得でするのですか。また10年後の電気代を誰がわかるのですか?インフレ率は考慮したのでしょうか?なにより頭金一括で支払うことの重さについて本当に考えたでしょうか?
私の疑問は正当だと思います。いきなりこれだから、読みながら顔をしかめてしまいました。
さらにこんな記述が続きます。
安蔵氏は「低価格帯のエアコンがなくなれば、高性能なエアコンが最低価格のエアコンになる。その分、機能を落として、価格はちょっと安くする可能性がある」と指摘。「省エネ性能の高いエアコンをよりお得に買えるようになるとポジディブに捉えることもできますね」と話した。
安くならなかったら責任取るのですか?また、具体的にいくら安くなるというのですか?
断じて責任なんか絶対に取らないし取れません。いくら安くなるかも言えないでしょう。起きてもいないことについて「可能性がある」と責任を回避しながら、適当な希望的観測で「ポジティブに捉えることもできる」とは、どういう了見なのでしょうか。
いったいこの記事は、政府の高官に頼まれて書いたのかと思うほどに、体制についてなんらの疑義も挟まず、誤魔化しと虚飾に満ちていると感じました。これならAIに聞くほうがマシです。
専門家とはなんなのか
「エアコンの2027年問題」は、私たち消費者が家計と地球環境の両方にとって「賢い選択」は何かを考える、良い機会といえそうだ。
残念ながら私にとってはエアコンではなく「専門家とは何か」について考える良い機会となりました。
現代社会には専門家に対する幻想のようなものがあるように思います。これについては、我々市民側も考えるべきところがあるのではないでしょうか。
たとえば、最近はPCのメモリが一か月で数倍に急騰するという未曽有の事態がありましたが、これについても似たようなことを思いました。
メモリの急騰は、専門家はまったく予想していませんでした。実際、どこぞのレポートでも来年には50%上昇するかも、という呑気なことが急騰の直前で書かれ、ブルームバーグなど著名なメディアで引用されていたのです。
それにも関わらず、メモリ暴騰が起きたら、SNSやYouTubeで、詳しそうな人に「高騰はいつおさまるのでしょうか?」と縋るように聞いている人が多く見受けられました。また、YouTubeには高騰してから「これからの動向」について知ったようなことを言う動画がたくさん出ました。記事も書かれています。
しかし、彼らはメモリの急騰を予測できなかった人たちです。今日の天気を外した気象予報士の明日の天気予報は、どれだけ真面目に聞けばよいでしょうか?
それでも人々が聞くのは、情報というより、安心を得ようとしているのでしょう。これは人間心理として理解できます。私も不安です。
でも安心は現実を変えません。自分の精神を保つために、ある程度の楽観を持つことは良いと思います。しかしそれは「自分ならきっとなんとかできる」というような、自分の中にあるべきもので、他人の言葉に安心を求めることは、「誰かが何とかしてくれる」という単なる依存ではないでしょうか。
PCメモリでいえば、変曲点を迎えた以上、いつどうなるかは誰にもわからないと考えるのが妥当です。したがって、「高くなるなら買わないだけだ」なのか「是が非でもほしい」なのか。そのうえで、現状を見て、方向性を決めて賭けます。お買い物、それは賭け。
ここで専門家に聞く意味が出てきます。質問は、「メモリ急騰の原因はなにか」です。これは今後自分が何に賭けるか決めるうえで必要です。それが一過性のものか、継続的なものか?継続的として、そのシナリオが壊れるパターンはあるか?そういったことを考えます。タフですが、そうする以外にありません。
もう一つ言えば、「なぜあなたは急騰を予見できなかったのか」と意地の悪いことも聞きたくなりますが、まぁこれの回答は「未来は誰もわからん」からです。そうであれば、わからんことをわかっているかのように言うのはやめるべきだし、我々もそれを有難く拝聴するようなことはやめるべきだと思うんですけどね。
自然科学は別
もう少し言えば、純粋に自然科学的なことであれば、計算式で説明できる範囲において、それなりの確度を持って言えるはずです。なので、この範囲では傾聴すべきと思います。
逆に言うと、自然科学の計算式を外れるほどに、確度は小さくなり、最後はダーツの旅になります。たとえ計算式があっても、それが自然法則でなければ変数の根拠が難しくなるため同じことです。10年後のエアコンの電気代計算式に意味はありません。
しかしなんだか世間は逆で、自然科学の導きを信じず、なんだかそれらしいだけの説を有難がっているように思えます。恐らく後者のほうが心地よいのでしょう。
名医は患者がつくる
昔、なだいなだの本だったかな、「名医は患者がつくる」とは今でもよく覚えています。これは「名医が見てくれてるんだから自分はきっとなおる」と思いたい患者の願望が、この人は名医だ、という幻想をつくるという、身も蓋もない話です。しかし、現実だと思います。
専門という権威を人工的に作り上げ、その専門家が言うならそうなのだと偽りの安心を得る。社会全体でこのような常態ですが、先のとおり専門家に大したことはわかりません。なので現実は歪みます。
今、その歪みが大きくなっています。
今一度、専門家ではなく、自分を信じる時代が来ていると、最近そう感じます。自分を信じられるかどうかではありません。自分を信じるしかない時代です。
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