タイムラインにこんなツイートが回ってきた。
「人生は不公平でも配られたカードで勝負するしかない」論を唱える方、不遇側が素直にゲームをプレイし続けてくれると思ってる時点で平和ボケの☓☓なんだよな。彼等が合理的思考の帰結として、「ゲームから降りる」「コンセントを抜く」「利益ではなく相手の不利益を追及する」に至るのが分からない
https://x.com/CavidanKemer/status/2053801651132383550?s=20
特に異論はないんだけれど、一点違和感があるとすると、ゲームをぶち壊す(物理)も含めてカードだと思っていた。なので、僕は配られたカードで勝負するしかない、という言葉は世界の捉え方の一つとして特に間違えていないし平和ボケという感じもなく、単に一つの切り口、という風に感じる。
もっとも、これはゲームという言葉をどのように解釈するかの言葉遊びだ。このツイートの言いたいことはわかるし、多分僕と同じことを想定しているように思われる。ただ僕はゲームから降りるとかコンセントを抜くも含めてカードだなぁと思ったのだけれど、こういう見方はあまり一般的ではないのだろうか、とふと気になった。
別に変なことを言っているつもりはなくて、王族貴族を断頭台にのせたり、軍隊が皇帝に銃を向けたりすることは、事実として起きたことだ。実際そういうことがあるので、現実社会をゲームと表現するのであれば、当然暴力革命までカードに含まれるのだと考えている。
しかしながら、当然それは文字通りの命がけになるし非常にハードというか世紀末なので、最近は「ゲームから降りる」というよりマイルドな戦法がとられている。たとえば流行りの寝そべり族(いや最先端はネズミ人間?)なんかがあるが、これはまさに革命に代わる反逆のカードだと、そういう認識である。
実際ソ連崩壊時は国民総寝そべりだったのではないかと思うし、今中国では「寝そべりは他国による工作だ!!」と習近平が血相を変えるくらいにダメージを与えている(参考「中国の若者に「寝そべり洗脳」を仕掛けている 世論工作と注意喚起―中国国家安全省:時事ドットコム」)。
この寝そべりは本当に寝ている(物理)とは限らなくて、半自給自足みたいな完全に起きてる(物理)ものも含まれる。これはむしろ夢の共産主義的じゃね?と思うのだが、まぁ中国共産党はキレ散らかす程度には有効な反逆だと言えるだろう。
まぁこれをカードと呼ぶかどうかは、ゲームを一つの試合とみるか、一連の物語と見るかという違いだろう。別にどっちが正しいという気もないが。まぁ僕の言葉の捉え方のほうが広すぎると見るべきなのかもしれない。
ただこのうえで、人生はゲームではない、とは僕も思う。
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