滅びてません(半ギレ)。
いや滅びてるよね。かつての2ちゃんねる(現5ちゃんねる)といえば俺の青春だけれど、世間一般的にはなんか昔あったらしい場所という感じだろうか。若い時にあったのがXじゃなくて2ちゃんねるで良かったと思う。匿名だから若気の至りがスティグマにならずに済んだ。
まぁ僕も僕なりに若かったからなぁ。最近メールの整理をしていたら、15年前に友人に宛てたメールが出てきたんだけれど、文体から若さが迸っていたびっくりした。ましてさらに若い十代の時分に匿名だったら……そりゃ愉快なことを色々書いたよな。
実際にはガキだとバレると舐められるから、頑張って大人のフリをしていたけれど、当時既に大人だった人からすれば察しはついただろうねぇ。まぁでも、溶け込もうとしている証左でもあるし、やらかしてなきゃ黙っておくのが粋というものだ。
掲示板はそういう粋の文化で、ポリシーではなく住民の作る空気によって統治されていた。その点に関しては、当時のひろゆきはよく見ていたと思う。なんかくだらない掟が3つほどあって、なんだっけと思ったが「2ちゃんねるのことについて詳しく教えてください何でもいいです - 2ちゃんねる... - Yahoo!知恵袋」によると以下の3つだ(大元の2ちゃんのリンクは当然ながら死んでいる)。
- 出されたご飯は残さず食べる。
- 転んでも泣かない。
- おいらのギャグには大爆笑する。
何を想うかはそれぞれに託された形だが、少なくとも上2つは当時のユーザの心情をそのまま代弁したものであった。最後の一つは、ジョークの形で描かれているが、結局ひろゆきはユーザのことをまったく信用できなかったのだろうと、その後の歴史を見ると答え合わせのような気分になるね。
結果、2ちゃんねるはスレッドという枠の中で、トピックと時間だけを共有し、あらゆる人の書き込みがフラットに並べられた。名前はかけたが、基本的には書かず、必要に応じて一時的かつ便宜的なもののみよしとされ、固定の名前(固定ハンドルネーム、コテハン)は無粋とされ死ぬほど叩かれた。一部その洗礼を耐えきると、それなりに認めてもらえることもあった。まぁでも匿名文化が基本となる。
この完全なるフラットは、前述したように空気によって統治される。したがって、空気をあえて読まない荒らしの前には完全に無力である。しかし規模が大きくなるにつれて荒らしは増える。当時「荒らしは無視が嫌い!無視が一番!」と言われていたが、現実の荒らしはたとえ何を言われようと永遠に居続ける狂気だ。そもそも自分で自分に対して反応することも可能なのだから、無視は原理的に不可能である。結局それは対策というより、住民には無視しかできないからその効力を信じるしかないという、魔除けの祈りのようなものだった。
現実に、荒らしに対する本当の実効力は権限のみである。その権限が、結局最後までユーザに譲渡されることはなかった。今も存続するRedditやふたばを見ればわかるとおり、ユーザへの権限譲渡は掲示板文化において明確に荒らしへの有効な対抗策だったが、それは選ばれなかった。それが根幹にしてすべてだったと今にして思う。一部なんか、削除人とかいう特権階級みたいなんはいたけどな。どうも人民の平等の先には必ず特権階級が生まれるらしいね。
結局のところ、彼の地はひろゆきを頂点とする王国で、王国の性として覇権争いが起きて、それに破れたというのが2ちゃんねるの帰結だったのだろう。まぁ亡国の経緯については詳しい人が詳しいのでそっちに任せる(投げやり)。僕としてはもはやどうでもいい。
そうしてひろゆきのギャグに大爆笑してくれる臣民はいなくなったが、当人も今はなんだか真面目くさったことを言っているので、笑わなくていいから真顔でいいねとリポストしてね、という感じかもしれない。今や彼の人も良き臣民になった。
コメント