見せたいものを作るのではなく、残したいものを作る

何故ホームページを作るのか、ということを考えた時、その目的は発信よりもむしろ保存にあると思う。これはホームページだけではなく、写真、文章、絵、音楽、動画、あらゆる創作の根源ではないだろうか。創作の最終的な終着点は保存にあり、発信や公開はその途中駅に過ぎない

だから、ホームページは公開しなくてもいい。公開しなくてもいいが、多分公開したほうがいい。公開して誰かに届いたという実感は、続けるうえで大きなモチベーションになるからだ。けれども、相手に届けること自体が目的ではないのだと思う。

では保存の目的は何か、それはよくわからない。実用的には、後で見返すため、かもしれない。しかし現実的に、僕らが旅行で写真を撮影するとき、その写真が本当に見返されるかといえば、必ずしもそうではないだろう。結果として、一度も見返されないままの写真のほうが、世の中には多いのではなかろうか。

それでも僕らは写真を撮る。この瞬間を残したいと、なんだかそんな感じがしたからだ。たとえ二度と見返さなかったとしても。

それは自分という存在の確認行為というべきものかもしれない。

そうして残された、他人の生きた痕跡を見ると、少し愉快な気持ちになる。土についた足跡を見て、その足の持ち主に想いを馳せるようなものだろうか。知らない道を歩くときに足跡を見ると、なんとなしに心強さというか、安心感のようなものを感じる。こんなところを歩いた人がいるのかと、驚くこともある。

でもそれは結果だ。足跡はこの道を通る人がいるかもと考えて残すものではない。誰にも見られなかったとしても、自分さえ見なかったとしても、その瞬間を残すという行為そのものに、価値があるのだろう。

そのようにして、この記事もまた、僕のホームページに残される。

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