人手不足倒産のニュースを最近非常によく見る。これをみていると、社会は静かに崩壊に向かっているんだなと思う。その先を考えているといつも同じ結論になってしまう。どうにも社会は袋小路に陥っており、もはや自浄作用にも期待できず、崩壊に備えるしかない、となる。なぜそう考えてしまうのかについて、記録したい。
社会問題としての人手不足倒産
人手不足の原因はなにか、と言われれば様々な観点があるだろうが、僕はこれについて畢竟尊厳の問題だ、と考えている。尊厳というとふわっとしているが、とどのつまり人から人としてマトモに扱ってもらえること、と言ってもいい。
実際、人手不足と言われている業種はほとんど、賃金というよりは尊厳が不足しているためだ。社会的な扱いが悪いのだ。ただこれは賃金とも直結している。というのも、資本主義においては賃金こそ評価であり、そして扱いそのものだからだ。
例外となるのが移民と言われる人たちで、彼らは先進国に赴いて出稼ぎをしているという立派な軸を持っているため、我々と異なる評価がある。尊厳の問題をクリアしているので、日本基準の低賃金は大きな問題にならない、というわけだ。
逆に言えば、賃金を大きく上げれば、それ自体が尊厳に繋がるために、日本国内の人材も発掘できるが、そうすると従業員の低賃金を前提にしていたビジネスモデルが崩壊する。であれば、黒字のうちに事業を畳むほうが合理的である。このようにして、黒字の人手不足倒産に繋がる。
なぜ今、崩壊し始めたのか
しかしそうすると、なぜ今になって?という問いが生まれる。これまでと現在で何が変わったのだろうか?
これについては、いくつかの回答がある。
まずひとつは、「昔は報われるという期待があった」というものだ。努力していれば報われて、扱いが良くなる、という期待がまだあった。そして、努力の報酬は幻想だったと突きつけられたのが失われた30年の結果といえる。今の世代は、もはや期待もできなくなっている。
もうひとつは、単純に人口が減ってしまったために、その仕事に資本的な報酬とは異なるやり甲斐を見出だせる人口も減った、のもある。たとえば図書委員というのはやけにやりたがる人が一部いるものだが、それ以外の人はあんまり魅力を感じない。人数が多ければ、この低賃金でも望外の熱量を持った人も一定数確保できるが、少子化になるとそれができない。熱量のない人を釣り上げるには、高い賃金が必要になる。そしてそれは既存の人員にも与えなくてはならない。当然だ、一部の人だけ扱いをよくすれば現場は崩壊する。
さらに、社会的な要因がコストを上げている面もある。上がり続ける社会保険料や、厳しく複雑になる一方の規制が、人材にかかるコストを上げ続けており、これも昔と比べたとき負の圧力になっている。また、社会的に一人ひとりが社会人として扱われるためのハードルも上がり続けている。主観は認められない。数字を稼ぐこと以外はクソ扱いとなった。今、本が好きだから図書委員、は落伍者の扱いを受ける。
これらの要因により、必要な尊厳がビジネスを崩壊させるほどに高くなってしまった、といえる。
この先にあるもの
賃金を上げれば人はくる。だがビジネスは崩壊する。である以上、人手不足倒産はただ清算によってのみ終わる。そして誰もいなくなる。
移民という選択があるように思えるかもしれないが、問題の本質が尊厳である以上、根本的な解決にならない。せいぜい延命できるだけだが、他文化の人間を受け入れることは、数字以上の大きなツケになるだろう。というか、欧米諸国が既に立証してくれたことについて今更議論する気にもならない。
正当な解決は、働く人々の尊厳の回復にある。この尊厳は突き詰めると、資本主義である以上一定の賃金は最低限の条件となる。そのうえで、尊厳とは相対的なものだから、あまり他人と開き過ぎないことが重要だ。惨めではいけない。格差は問題だ。もっと上にいけるという期待があること。そしてその評価はが正当であると信じられること。これらが揃って、初めて尊厳は回復する。尊厳があればこそ、資本主義的な軸とは異なる軸を探すことも、人生として肯定される。
現状を見る限り、真逆に向かっている。格差は広がり固定化されている。尊厳の足切りラインは上がり続け、社会的に惨めな想いをしている人が増えている。それを覆す期待はもはやない。
この解決としてよく出てくる議論は再分配だが、先に述べたように尊厳とは相対的なものであり、つまり序列であり、再分配では解決できない。
じゃあどうなるんだ、となると、この考え方だと、どうにもならない、という結論になる。何度考えてもこれ以外の結論にならない。自浄作用は失われている。したがって、物理的な崩壊に帰結する。具体的には、物流やインフラ、医療福祉といった、今まであって当然だと思っていたものがなくなる。生活を維持するコストは上がり、治安も悪化する。
それがどれだけ深刻な形になるのか、またいつそうなるのか、それはわからない。ただ、かなり近い可能性がある。そして、個人としてはただ備えることしかできない。
別に絶望したいわけではないので、僕の考える世界線がよりポジティブになりうる条件についても考えているのだが、いまのところあまり見通せていない。
なので、現状の結論としては、今僕らはこれまで社会が捨て去ってきたものを拾わなければならないと思う。社会的価値観から精神的に独立し、本当に必要な能力を向上させ、信頼できる関係を一つでも築き、物理的な生存基盤を構築する必要に迫られている。この具体的実装について、考え実践していきたい。
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