クマが牧場のヤギを襲撃

例によってクマー。

クマが牧場のヤギを襲撃 捕食確認 - Yahoo!ニュース

クマの話題になると必ずクマの星から来た者たちによる擁護があるのだけれど、今回は人間ではなくヤギがやられているわけで、この場合はどう言うのだろうと思って反応を見ていた。

ざっと見ると、「クマは本当は山で木の実を食べたかった。追い詰められたクマもまた被害者だ」的な反応が基本となるようだった。やはり可哀想なクマ路線は堅持されるらしい。

しかし、ヤギが食べられたこと自体について可哀想とは言わないようだった。一方、ヤギが人間に飼われていたことについては言及をする。

一見不可解な気もするが、クマがヤギを食べること自体は自然の摂理だという解釈になるのだろうか。動物が動物を食べることは自然なので可哀想ではないが、人間が動物を繋いだり殺めたりするのは可哀想なことだ、という前提にたつと、一応成り立つか。

しかし、自然だからヤギは食べられたことは当然だ、とは言わないらしい。まぁ言う必要がないということはできるかもしれないのだが、しかしこの事件を受けてヤギが食べられたことについて「可哀想に」と思うのはむしろ自然なことで、実際そういう感想はけっこう多い。そんな中、クマを普段は非常にかわいそがる人たちが、不自然なほどそこだけ言及しないのは、やはり避けているようにも思える。動物が動物を食べること自体について、否定しないまでも肯定もしづらい心理はあるのかもしれない。実際クマは本当は山の幸のほうがいいんだと言いたがる習性も見受けられるし。

動物が動物を食べることについて、どういう心理的な整合性を取っているのだろう。もちろん論理的にはそれは自然だと言えるわけだが、そういう冷徹に論理を貫けるタイプはそもそも動物愛護に傾倒しないだろう。マウントを取るために一時的に自然の摂理を軸にした論理を採用することはあっても、それは性根ではないはず。骨の髄まで合理に染まっているなら、むしろ人も動物に過ぎないとみなすタイプになるだうし、人間のエゴも動物的な習性と考えるのではなかろうか。

まぁ自然界の弱肉強食については、良いと思っているわけではないが仕方のないことで、そこに言及しないのはわざわざ傷口を見ないのと同じだ、という理屈は成り立つかもしれない。別に成り立たせる意味はないが。

ま…結局のところ、人間が嫌いなのだろうなぁ、と思う。

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