AIの方向性は大別して5つ

僕はAIについて割と悲観的なことを言っていることが多いように思われるかもしれないが、まぁ実際言っているかもしれないが、可能性自体はあると思っている。ただそれ以上に、恐らく僕らはその未来を見る世代ではなく、過去のツケを払う世代なのだろうと思うので、色々と暗いことを言うことが多い。

それはそれとして、AIとはなにか?を考えたとき、それは計算機の上で計算するものと考えられる。したがって、リソースという制約の中でAIは計算の範囲であれば可能性を持つ。具体的には、現状のAIにおいては大きく5つの方向性があるように思う。

  1. アシスタント
  2. フィルタ
  3. フィジカルAI
  4. ブルシット・ジョブ
  5. エンターテイメント

具体的に見ていきたい。

目次

アシスタント

これは言わずもがなだが、人間が責任を持つ範囲でAIに相談するものだ。普段チャットでやっていることがそれだ。

言うまでもなく完成しているが、それだけに入り込む余地がないように見える。難しい。

あるとすればOSSをカスタマイズしてローカリゼーションしたり、あとは検閲突破くらいだろうか。検閲突破は有用と思うが、法的・倫理的な課題がある。ローカルLLMの進歩自体には期待しているのだが…。

フィルタ

フィルタというのはかなり広義の言葉になるが、コンバータやフォーマッタといってもいい、とこれも広義だな。まぁつまり翻訳や要約がこれに入る。AIプログラミングも広義のフィルタといってよい。

こちらも既に有用性は確立されているのだが、問題はやはり胴元が全部やってしまっているため他社の入り込む余地がないことだろう。たとえ隙間を見つけても、胴元がそれを奪いにくるのが厳しすぎる……。

フィジカルAI

昨今よく言われるフィジカルAIは一応方向性として存在しうるものだ。実際、今の日本ができることで勝ち筋を理屈で考えていくとここに行き着くのはまぁわかる。

ただ、フィジカルAIの成功には以下の3つが要件として必要になるだろう。

  1. ボトルネックがソフトウェアである(ハードウェア、コストや人間的な問題ではない)こと
  2. 計算に十分なリソース(電力や通信環境)があること
  3. 計算速度(リアルタイム性)の問題がないこと

AmazonのAIロボットが思い浮かぶが、あれは物理世界のフィルタを体現したものかもしれない。しかし、他にこの条件をすべて満たすユースケースはあまりないのではなかろうか。ないからこそ、フィジカルAIという言葉だけが独り歩きしているのではなかろうか。これは過去のIoTや5Gと似ている。

なので、僕はこれは盛大にコケるだろうと思っている。もう我が国にPoCを垂れ流す時間もリソースもないと思われ、最後の祭りになる可能性もある。

ブルシット・ジョブ

ブルシット・ジョブは非常に有名な言葉だが、まぁ有り体に言えば本質的な価値を生まないクソ仕事だ。主に大企業や役所に蔓延っている。形式を整えるだけの無意味なあれなど。

これもまたAIと相性が良い。AIはどうでもいいことをやるのは得意だ。ミスったところで大した問題にはならない。本質的にどうでもいいからだ。

ただこちらの抜本的な解決は、そもそもそんな無駄なことはやらない、である。しかしこれは政治力学的な問題であるため、AIによるブルシット・ジョブの代行はそれなりに需要があるかなぁという気はする。

エンターテイメント

AIはどうでもいいことが得意、という性質を利用して、いっそ虚構に振り切るとエンターテイメントという道筋が見える。それは単に娯楽だが、娯楽は一大産業である。これに意味がないとは言えない。娯楽に意味がないなら人生にも意味がない。まぁ実際人生に意味などないでFAかもしれん。

それはさておき、実際エンターテイメントとしてのAIは未知数ではあるものの、可能性は大いにあるかと思われる。ただ個人的には、今後社会はエンタメを楽しめる余裕をなくしていくのでは?という社会構造的な観点でややネガティブだ。

また、そもそも論として、娯楽とは計算ではなく魂なのではないか、とも思われる。AIに魂を震わせることができるのだろうか。ただ、これはなんともわからない。活用の道はある気もする。一方、もう僕自身心に余裕がないため、その検証をする気力がもはやない。

所感

以上ざっくりと述べたが、僕の所感は以下に尽きる。

  • AIは計算が得意
  • AIは責任がない
  • 仕事は責任である

したがって、AIはまともに仕事はできないが、計算はできる。この考え方はAIを高度な計算機として捉えているだけだ。だから僕にとってできることはこの記事であげた5つになる。

実際AIは計算機の上で動くのだから、計算しているとしか言えない。それでもこの記事であげた以上のことができるとする場合、我々人間もまた計算しているに過ぎないと考えることになる。それは否定できることではない。ただ僕はそのようには考えない。この考えを改められるほど人生が長くもないだろう。

少なくとも言えることは、AIと違って人は死ぬ。したがって僕は死ぬので、せいぜい死ぬまでにやることを考えたい。

この記事をいいなと思っていただけた方、よければ高評価・チャンネル登録……はないので、コメント・SNSでシェア・ブックマーク、RSSフィード登録を、よろしくお願い致します。

コメント

コメントする

目次