AIは必要ないものをいくらでも作れる

まぁだいたい皆頷くと思うんだけれど、確かにAIは一瞬で様々なデジタルデータを生成することができるのだが、その生成されたものはAIスロップと呼ばれ忌み嫌われている。厄介なことに、AIスロップは外形的には品質が良さそうに見える。AIテキストは流暢で、AIイラストは綺麗で鮮やか、AI動画は迫力満点、AI音楽は調和しており、AIコードは高度なロジックが組まれている。

しかし奇妙なことに、それは品質を保証していることにはならないようで、多くの場合AI生成物は綺麗なゴミの域を出ない

ではAI生成は役に立たないか、というとそんなことはなくて、実際僕はAIプログラミングで自分向けに色々アプリを作っているし、その中には自動トレードのようなガチめのもある。アーキテクチャ設計とインフラで縛れば全然やれると思う。

でもAIコードは読んでいない。AIコードなんか絶対読みたくないという気持ちがある。以前はなんか真面目に読もうとしていたこともあるんだが、とにかく気持ち悪かった。なんというか、何をしているのかはわかるが、なんでそう書いたのかがわからない、みたいなことが多い。これはとても気持ちの悪い体験だ。

過度に具体的な一方で突然の抽象化があったり、ベタ書きの中に突然高階関数を使いこなした目の覚めるようなロジックが出てきたり、確かに動くんだが、わけがわからない。指摘したところでAIが成長するわけでもないし。

こんなものまともに読む気がせず、組織ではAIコードを真面目にレビューしているところもあるようなのだが、非常にたいへんな仕事をされていると思う。いやもう、正直刑罰の一種ではなかろうか。いったい前世でなにをしたんだという感じなので、続かないのではないか。それとも読むところを絞っているのかな?それならあるかも。まさか全部読んでいるとはさすがに思えないなぁ。

そんな感じなのだが、AIイラストやAI動画、AI音楽は既存のワークフローに組み入れるのが難しいのだろうね。コードが特殊なんだろう。テキストかつロジカル、正解(動作すればOK)という基準が明確。そんなのコードしかないよね。一方で正解のないAIテキストは、世間一般の評価とば別に、僕自身はかなり難しさがあると思う。だからこのサイトにAIに書かせた記事は全然ない。僕が求める品質にまったくもって届かない。

ここでいうテキストの品質とは、流暢であるとか、論旨が整っているとか、内容が一般的であるとか、そういうことではまったくないテキストの品質は、そこに魂があるかどうか、それだけ。魂の共鳴が共感と呼ばれるものであり、あるいは反感であったりする。すべてがそうだ。コードレビューは指標達成のための機能である以上に、魂のやりとりだ。

これは非常に主観的で役に立たないと思われるだろうか。そう、品質とは本来的にそのようなものだ。

まぁそれでは困るので、品質を表現する定量をなんとか探すのだが、それは常に量でしかない。そしてAIも計算機の上で動くソフトウェアである以上、扱えるのは量だけだ。量は本質的に品質ではない。AIにできるのは、品質を表現するとされるいくつかの指標を満たすことだけだ

実際、今世の中にはAIスロップで溢れているのだが、それらは確実に何らかの指標を満たした存在なのだけれど、感想としては電気のゴミ、でしかない

AIプログラミングですら、AIに完全に自律的に任せてサービスを作ることも技術的にはもはや可能だが、ではそれによって実需に根ざした必要とされるものができるかといえば、少なくとも僕は知らないし、できないだろうと思う。

必要とは究極的には主観であって、それは人間が個々の人生の中で判断するものだ。擬似的に量を使って他者と共有する試みは重要だけれど、本質ではない。本質ではないところでAIに任せても、人生のない彼らは、ただ何か指標を実現する量を計算し続けるだけだ。その先に実需があると思えない。

AIは確かにいくらでもデジタルデータを作れる。しかしいくらでも作る限り、それは必要のないゴミでしかない。そして人間の意思が介在する限り、いくらでも作ることは物理的に不可能となる。

でもそれでいいんじゃないか。だってどう考えてもないだろ、無限にデータを作る必要なんて。僕らに足りないのは、本当にデータだったか?世界的なインフレの原因はデータ不足か?AIに聞いてみな。

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