2026年 謹賀新年 何が何だかわからないので

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

といっても、あまりこのサイトにダイレクトで来ている人はあまりいないとは思いますが、アクセス解析を見ているといないわけでもなさそうなので…。そんなちゃんと見ているわけではないですが、あまりコメントのつくようなブログでもないので、アクセス解析だけが多少は見られていることの根拠になっております。

しかしこれはコミュニケーションを主目的としてアメブロなどやっている母には理解しがたい状態のようで、特に何か反応があるわけではない、というと「あまり見られていないのか」と少し不憫そうに言われました。

考えてみると、別に何か得になることがあるわけでもないのに、延々と長文を書き続けているのは、一般には理解に苦しむ趣味であるように思われます。以前であればそれなりのアクセスもあって、Google広告を置けば月に1万円近くお小遣いをもらえていたこともあるので、それであればなるほどとなったかもしれません。

しかし知られているように、ここ数年の個人サイト冷遇の流れによってアクセスは激減しました。バカバカしくなって広告は撤廃しましたし、同時期にいくつかの知るサイトも広告を撤廃していたかな。その後多少戻したものの、アクセスは以前の1割ちょっとといったところでしょうか。

それでも続けているのは何故かといえば、もはや私にとって一つの存在証明になっているからと思えます。それはこのサイトを作った当初の目的とも合致します。

明確に覚えているわけではありませんが、2012年、大学院を中退し、その先の当面ことは決まっていたものの、普通の新卒就活をしたわけではない私は、何もわからないながら、世間のレールから大きく外れたことは理解していました。それが日本社会において何を意味するかも。また、私が当初考えていたソフトウェアにかかる技術の道からもそれは遠いところにありました。

暗中模索の中、私はとにかく何か発信しなければならないと思いました。発信したところで直接何か変わるわけではないのですが、そうすることで、なんとか世間と乖離する自分をつなぎとめようという気持ちがあったのかもしれません。また、自分の学びや知見が、誰かの役に立つかもしれないことは、当時の私にとって純粋にうれしいことでした。

当時のインターネットはぎりぎりそういう何物でもない誰かの声を拾う場として機能していたので、私のこのささやかなブログは、少しずつ伸びていきました。

実際に更新を本格的に始めたのは、2015年と、2,3年経過してからだったかな。これも私の事情ですが、2015年に区切りがついて、再び私は何か始めなければならない、と藻掻いて時なのです。そういうとき、私はブログに駆け込むようです。ブログにも慣れてきて、記事とは別にたいそうなものを書く必要はなく、たった一つのことを書けばよいのだ、そしてそれがうれしいことなのだ、という風な考えになったのもあると思います。

そして2025年後半、13年目にして、おそらく当サイトは過去一番活発な更新をするようになりました。振り返ると、なんだか妙に社会的な記事や愚痴めいたもの、暗い世界観を記述したものが増え、あまり技術的な話は背景になっているように見えます。まぁもともと技術ブログではなく、雑記ブログなので、別に悪いとは思っていないのですが、いまの自分の状況を反映しているようです。

私はなんだかまた、よくわからなくなって、頭がぐちゃぐちゃしています。いわゆる中年の危機というやつなのでしょうか。今、何をしていいのかわかりません。本当にわからないのです。正直、15年前に大学院を中退したあの時よりも、実存上の根本的な悩みに苛まれているように思えます。本当にわかりません。抜け殻のようです。社会を見渡しても、何もかもくだらなくて、何にもエネルギーをさけない自分がいます。魂が胸の奥深く沈み冷え切っているのを感じます。

最近、自分は死ぬんだな、ということを思います。死んだら全部おしまいです。そうしたとき、思い出されるのが先物のチャートや資産の総額、簡潔にして意味不明なコンソールのエラーメッセージであったとして、いったい人生とはなんであろうかと思います。

それなりに懸命にやってきたつもりですし、資本主義社会の小市民的には幾ばくかの成果もありました。私は今生存の危機に直面していません。それはありがたいことだと思います。しかし振り返って、私のやってきたことには顔がなく、歴史もない。人の生とはもとより無意味なのかもしれませんが、しかしそれにしても、もう少しなんだか、その生に納得したいと思う気持ちがあります。

一方で、社会は歴史の転換点にあるように思われます。今までの常識が通用しなくなる変曲点を、私はこの人生で迎えるのではないか、と思います。それも、予想としては割合すぐに感じています。既に変化があります。たとえば私は物心ついてからデフレ経済しか知りませんでしたが、インフレが定着しそうです。デフレとインフレは完全にゲームが違います。私は今までと異なるスタンスで社会に臨む必要があり、そのために2025年はずいぶんと動き方を変えました。

しかしこれは序の口でしょう。なぜそのように思うかといえば、私自身の閉塞感を敷衍しているといわれるかもしれませんが、私のやってきたことのくだらなさは、社会の求めるものがくだらなかったからだろう、という想いがあります。であるならば、道理のないことがいつまでも続くはずはなく、いつかは破局を迎えるわけで、いまそのさなかではないかという風にも思われます。詳細については他記事で断片的に述べていますが、技術と経済の観点から、私なりの合理があります。

ですがこれは私がそう思うだけで、今のところ社会は回っています。つまり単に私の頭がおかしいので世の中がおかしく見えているだけであり、今後も世の中はうまく回り何事も起きない、ということは考えられます。

この両面が、私にブレーキもアクセルも踏めなければハンドルも回せないという状況に置いているようです。信じ切ることも疑い切ることもできず、私は中年にして燻っています。

何をしてよいのかわからないので、とりあえずダイエット日記だけは続けている、というのが現状の有様です。これでは一昨年法人を共同設立した友人にも迷惑ですし、私は近日中にはなんらかの方向性を見出さねばなりません。

なんだか新年早々重苦しい感じの記事になってしまいましたが、そういうお年頃、なんでしょうかね。一市民に過ぎませんが、歴史の大きな流れの中で、今自分がどこにいて、何をできて、何をしたいのか、少しでも納得できるように考え動きたいと思います。

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