独自ドメインを持っておくとインターネット上における活動の自由が大幅に上がる。もはやプラットフォームのサービスに乗っかるのが当たり前という感じかもしれないのだが、独自ドメインさえあれば、その流れに抗って、自分を中心にして活動することができる。
そこには不透明な検閲によるシャドウバンもアカウント凍結もない。自分だけのネットワークでセキュアかつ便利にデータをやりとりしたり、ストリーミングしたりすることも可能だ。AI学習と本気で抗うこともできる。自分のサイトを公開して、永続的なWebの居場所を構築することもできる。それはつまりホームページである。
実際、僕は独自ドメインで自サイトを持っているが、ここがWebにおける僕のホームだ、という感じがする。この感覚はnoteのアカウントでは絶対に得られない。。ホームページとは和製英語だが、本質的で良い言葉だと思う。和製英語はしばしばダサい扱いされることもあるけれど、日本人が海外から概念を輸入し、咀嚼した結果だ。英語だと完全に同一といえそうな単語はないようで、強いて言えばpersonal websiteになるのかもしれないが、ホームページのほうが本質を捉えている。是非ともhomepageを逆輸出したいところだ。
ホームページの形態は、実はなんでも良い。Webサイトの構築以外にも、SNSのインスタンスをたててもいい。メールでもいい。けれども、基本的には自分のサイトを持つのが第一だろう。そのサイトは全世界に公開してもいいし、鍵をかけて自分や知り合いにしか見られないようにしてもいい。家族用にしてもいい。
なんでもいい。なんでもできる。する自由がある。
それはなんでもしないといけない、とも言える。実際、ここ20年ほどでWebは何かと複雑化されてしまい、妙にハードルがあがってしまったことは事実だ。それはプラットフォームが選ばれた一因でもある。もっとも、複雑化の立役者がGAFAMであることを思うと、マッチポンプじゃないの、とも思うわけだが……。
けれども、大事なところさえ押さえておけば、既存のサービスもうまく使える。自由を守りながら便利さも確保できる。その具体的なものについては、別途記事にしたい。
それでも、できないことはある。
たとえば、関係そのものを持ち出すことはできない。自分のブログを作ることは可能だが、noteと同じように読まれるわけではない。同様に、機能的にXの代替を作ることは可能だが、作ってもそれはXと同じように見られるわけではない。これはあらゆるプラットフォームの代替で言えることだ。また、特にビジネスでも利用している人は、決済機能を抑えられていることが一番のネックになってしまうかもしれない。ここは非常に根深く、解決が難しいことは認めざるを得ない。
それでも、コンテンツは持ち出せる。自分が作ったものをWebに公開し続けることは、少なくともできる。もしかしたら、プラットフォームのフォローではなく、自分のサイトを訪れてくれる人もいるかもしれない。
SNSの10000人のフォロワーよりも、自分のサイトに直接来る1人の常連のほうが、僕は価値があると思う。このあたりは価値観だけれど、大して珍しい価値観でもないだろう。全員に聞いてほしいとは元より思っていない。
理由はなんでもいいんだけれど、僕としては、多少頑張っても自分で自分の居場所をWeb上に作る人たちが増えてほしいし、またそういう人たちの作ったものを見せてもらいたいと思っている。その一助となる記事を書いていきたい。

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