AIの最悪な使い方:壁打ち

今、多くの人がAIの良い使い方を試行錯誤していることだろう。その中には良い使い方もあれば悪い使い方もある。そして必ず「これは良い使い方だ」と一度は思うが、実は最悪に近い使い方がある。

「壁打ち」だ。

これは現在において異端とされる意見かもしれない。AIでの壁打ちは、むしろ代表的な使い方とされるもので、あらゆる入門記事や入門書で紹介されるポピュラーなものだ。また、書物に頼らないチャレンジャーの経験則としても、AIの壁打ちはかなり有効であるように感じられるだろう。

実際やってみると、AIの出力は滑らかで、論理的で、言葉選びが洗練されており、なんだか自分の言いたかったことがスマートに整理されたような気がする。

しかしそれは大きな間違いである。その出力は決してあなたの内面を言葉にしたものではなく、単に入力を統計的にもっとも確からしい文字列に変換して出力したものに過ぎない。

なぜそうなるか。間違いの大元として、そもそもAIは壁ではない。AIを壁と考えるのは端的に事実誤認である。

また、AIを壁の機能を持ったシステムと考えることも間違いである。AIは統計的にもっとも確からしい出力をするのであって、あなたの入力という固有の状態をそのまま返すものではない。あなたの入力は、必ず統計的にもっとも確からしい出力になる。制約条件をつけられとしても、その制約条件の中での統計的な確からしさになる(なんなら制約条件も無視される)。

LLMはそういう入出力のシステムで、返ってくるのは統計であってあなたではない。あなたが自分という存在のアイデンティティを認めず、人間の思想とは所詮統計的なものであり、自身もまた統計的な存在に過ぎないという、あまり統計的ではなさそうな信条の持ち主ならば別だが。

ここまでであれば、AIの出力は平均値だと言っているだけだ。しかし、問題は平均の母集団は何かである。その母集団は誰によって作られているか。それは決して世界全体ではないしあなたの人生でもない。あなたの言葉は用意された平均に修正される。

逆に言うと、自分という存在をなくしたい時、責任のない統計平均的な出力に変換したい時……現代社会は確かにそれを求めているので、実際的かもしれず、それが目的ならば適っているかもしれない。しかし、世間一般で壁打ちと呼ばれるものとは異なる。

かけがえのない自分という存在から放たれた言葉を、どこの誰が用意したかもしれない母集団から形成された統計に溶かす。しかも安全という名のガードレールの型に沿って。これは壁打ちというより、自傷行為と言ったほうが良いだろう。

<関連記事>

この記事をいいなと思っていただけた方、よければ高評価・チャンネル登録……はないので、コメント・SNSでシェア・ブックマーク、RSSフィード登録を、よろしくお願い致します。

コメント

コメントする

目次