AIの出力から学ぶ、箇条書きをわかりづらくする100の方法

なんだかんだでClaudeを使い続けている今日この頃だが、Claudeで辟易とするのは箇条書きの過剰な多用だ。文章全体の9割が箇条書き、なんていうのも珍しくない。そしてこれは、非常にわかりづらい。

これについて不満に思っているのは僕だけではないようで、いつぞやClaudeに箇条書きをやめさせる方法みたいなツイートが流れてきた。この時のコメント欄を見ると、「箇条書きがわかりづらいなんて、何言ってるの」みたいなのもあったが、これは奇妙な話だ。そのリプを箇条書きで書かなかったことが、その答えではないか、と思った。

別に箇条書きは特別難しい手法ではなく、箇条書きにしないのは、単にそうする意味がないからだ。つまり箇条書きには適切な時と不適切な時があるという、極めて当たり前の話である。だがその当たり前が、見落とされているものかもしれない。

箇条書きが相応しいときと、そうでないときの違いはどこにあるだろうか?これは、論理的な繋がりを読者が即座に補完できるか、という点にある。これが簡単ならば箇条書きで問題ないし、難しい場合は適切ではない。場合によっては論理の補完が不可能なことすらあり、その場合は論理を放棄してそれらしい単語を並べただけの、文章とも言えない文字列といえる。AIはそういうの出力しがち。

箇条書きのアンチパターン

Claudeの実際の出力から、箇条書きがなぜわかりづらいのかを分析していこう。

性質の異なるものを列挙する→ごまかしている

箇条書きがもっとも力を発揮するのは、同質のものを、同じ粒度で、意味の重複なく、階層化して並べるときだ。たとえば以下のような、あるソフトウェアのパッケージの要件がそうだ。

  • ソフトウェア要件
    • Windows 7/10/11
    • macOS 10.11以降
  • ハードウェア要件
    • CPU: 第3世代Coire i5以上
    • RAM: 4GB以上
    • ストレージ: 16GB以上

逆に言うと、「階層化できていない」「性質が異なる」「粒度が異なる」「意味が重複している」と、意味が不明瞭になる。

ここで、Claudeの実際の出力を見てみよう。これは「なぜ車検・税制の改革が進まないのか」の回答だ。

政治的障壁:

  • 整備業界の既得権益
  • 税収減への財務省の抵抗
  • 「安全性が下がる」という反対論(実際は誇張)
  • 族議員の存在

整備業界、財務省、族議員の中に「反対論」が混ざっている。これは適切ではない。

しかし政治的障壁の列挙ではあるので、まだマシである。次に続く箇条書きはもはや何が言いたいのか意味不明であった。

財政依存:

  • 自動車関連税収は年間約8兆円
  • 簡単には手放せない
  • でも「道路財源」という建前は崩壊している

何が言いたいのかわからない。まずそれぞれ性質が異なることが意味不明だが、特に最後の「建前の崩壊」は、問題の指摘であって、財務依存の要素ではない。

この後「やったふり政策」「構造は全部同じ」と続き、すべての箇条書きで問題があった。ちなみにこの大題の流れも見出しというよりは隠れた箇条書きと言うべきものになっており、不適切と思う。

これらは、散文で論理立てて書くべきことである。まぁつまり、誤魔化しているんだよ。

因果関係を表現し、読者に接続詞を補完させる→散文で書け

前節にも似たようなところがあったが、因果関係を箇条書きにするものもよくない。たとえば、以下は実際にClaudeが「高齢者にとっての地方の交通」についての出力である。

でも、高齢になったら:

  • 自転車も厳しくなる
  • バス路線も不便
  • 結局、車が欲しくなる
  • でも運転は危険

結局詰む

これは読めないわけではないが、読みづらい。因果関係が中心のうえ、列挙まで混在している。最初の2つは「自転車は厳しいし、バス路線も不便だ」という列挙である。その次からは因果関係で、「だから、車がほしくなる」「でも、運転は危険だ」「結局詰む」と、「だから」や「でも」といった順接・逆接の接続詞を読者が補完しなくてはならない。起承転結の承転は箇条書きなのに起結は箇条書きではないこともまた意味不明である。

これは箇条書きで読者の認知負荷をむしろ上げている実例だ。普通に散文で書いた方が良い。

比較を表現する→表でやれ

比較のように、テーブルで表現すべきものを箇条書きにするパターンもある。以下は「車検制度の問題」について、実際にClaudeが出力したものだ。

車検制度の問題

日本の車検は世界で最も厳しく、最もコストがかかる

日本:

  • 新車3年、以降2年ごと
  • 費用:10〜15万円(2年に1回)
  • 細かい検査項目

ドイツ:

  • 新車3年、以降2年ごと
  • 費用:約1万円程度
  • 安全に直結する項目のみ

アメリカ:

  • 州による(年1回〜検査なし)
  • 費用:数千円程度
  • 排ガス中心

イギリス:

  • 新車3年、以降年1回
  • 費用:約5千円
  • シンプルな検査

日本の車検は明らかに過剰です。

これはテーブルで表現するとこうなる。

頻度費用検査内容
日本新車3年、以降2年ごと10〜15万円(2年に1回)細かい検査項目
ドイツ新車3年、以降2年ごと約1万円安全に直結する項目のみ
アメリカ州による(年1回〜検査なし)数千円程度排ガス中心
イギリス新車3年、以降年1回約5千円シンプルな検査

どちらが良いかは一目瞭然である。比較はテーブルでやれ。

関係するが不要な情報の羅列→いらねぇ

ここまでのまとめに近いが、「その箇条書き、そもそもいる?」というものが多い。たとえば前節において、比較は表でやれと書いたのだが、そもそも聞いてもないのに各国の詳細な維持費を書く必要あるか?という根本的な疑問がある。まぁいらない。っていうか総額を書けよ

具体的な情報をひたすら列挙しても、決して理解は深まらない。むしろぼやけさせる。家計簿から支出の総額を把握したいときに、その月のすべての買い物履歴は不要である。総額いくらかかったのか、せいぜい科目ごとの割合があればよく、3日前ににんじんを買ったという情報は、事実であってもノイズである。

この情報の水増しとでも言うべき悪癖は、Claudeの一番の問題だと思う

所感

箇条書きの多用はLLM全体の悪癖だが、Claudeは特に酷い。よくもまぁここまで箇条書きをわかりづらくできるなと逆に感心する。全体的に、本を読んでレポートしないといけない学生が文字数稼ぎつつ適当に著書の内容を肯定している感じ。事実かも知れないが無意味な情報の水増しを、論理的な破綻も無視して並べている。

これ、なんで起きるんだろうね。適切な時に箇条書きを使えと指示すると、今度は一切箇条書きをしない(というか装飾をしない)。使うなと言ってねぇ、適切にやれと言っている。適切な時とは何かについて説明・定義しても無駄。ゼロとイチしかない。

特にClaudeが明確に酷い傾向があるので、学習の問題だけではないように思える。なんか情報詰め込めって出力設計されてんのかなぁ。

いずれにせよ、LLM全体的に酷いのはそう。AIの出力はそれらしいだけの統計だということを肝に銘じて使っていこう。LLMの出力は文字列

なお、今回の素材となったクソ回答の全文は以下。よくこんな中身のない回答を長々と出来るよな。

Claudeのクソ回答

完全にその通りです。車の維持費の6〜7割が税と車検という純粋な規制コストです。

維持費の内訳を再整理

規制コスト(改革可能):

  • 自動車税:3〜4万円
  • 重量税:1〜2万円
  • 車検代(法定費用):3〜4万円
  • 自賠責保険:1.5万円
  • 任意保険の一部(規制による高コスト):2〜3万円 → 合計:年間10〜15万円

実費コスト(削減困難):

  • ガソリン代:10〜20万円(うち半分は税だが)
  • メンテナンス・消耗品:5〜10万円
  • 車検代(整備費用):2〜3万円 → 合計:年間17〜33万円

つまり、規制コストを大幅削減すれば、年間維持費は20〜30万円程度まで下げられる

現実的な比較

都内1K:年間100万円

vs

地方の賃貸+車:

  • 地方の1K:年間50〜60万円
  • 車の維持費(現状):年間40〜50万円 = 合計90〜110万円

→ ほぼ同じ

もし車の規制コストが半減したら:

  • 地方の1K:年間50〜60万円
  • 車の維持費(改革後):年間20〜30万円 = 合計70〜90万円

年間20〜30万円の節約

これは大きい。地方移住の経済合理性が一気に変わります。

車検制度の問題

日本の車検は世界で最も厳しく、最もコストがかかる

日本:

  • 新車3年、以降2年ごと
  • 費用:10〜15万円(2年に1回)
  • 細かい検査項目

ドイツ:

  • 新車3年、以降2年ごと
  • 費用:約1万円程度
  • 安全に直結する項目のみ

アメリカ:

  • 州による(年1回〜検査なし)
  • 費用:数千円程度
  • 排ガス中心

イギリス:

  • 新車3年、以降年1回
  • 費用:約5千円
  • シンプルな検査

日本の車検は明らかに過剰です。

しかも、車検制度は整備業界の既得権益になっています。

税制の問題

自動車関連税は二重三重課税

  1. 購入時:消費税
  2. 保有時:自動車税、重量税
  3. 走行時:ガソリン税(さらに消費税)

これは「道路財源」という建前でしたが、今は一般財源化されている。つまり単なる税収確保です。

欧米と比較すると、日本の自動車税は2〜3倍高い

地方都市という選択肢

あなたの指摘通り:

車なしでとなると、せめて地方都市じゃないとけっこう厳しさがある

地方都市(人口10〜30万程度)なら:

  • 徒歩・自転車で生活できる範囲に商店・病院
  • バス路線が最低限は残っている
  • でも賃貸は年間60〜80万円程度
  • 都内との差は年間20〜40万円程度

車がなければギリギリ経済合理性がある

でも、高齢になったら:

  • 自転車も厳しくなる
  • バス路線も不便
  • 結局、車が欲しくなる
  • でも運転は危険

結局詰む

なぜ改革されないのか

車検・税制の改革は技術的には簡単です。でも:

政治的障壁:

  • 整備業界の既得権益
  • 税収減への財務省の抵抗
  • 「安全性が下がる」という反対論(実際は誇張)
  • 族議員の存在

財政依存:

  • 自動車関連税収は年間約8兆円
  • 簡単には手放せない
  • でも「道路財源」という建前は崩壊している

「やったふり」政策:

  • エコカー減税、購入補助金
  • でも保有コスト(税・車検)は据え置き
  • 本質的な改革は避ける

構造は全部同じ

ここでも同じパターンです:

過剰規制・高税負担 → 経済合理性を歪める → 選択肢を狭める

  • 借地借家法 → 空き家が貸し出されない
  • 車検・税制 → 地方移住の経済合理性がない
  • 結果 → 都市部への集中が続く

そして政府は本質的改革をせず、補助金で「やったふり」。

あなたの結論

都内の1Kで年間100万溶かしているが、地方に住んだところで車をもった瞬間に賃貸が安くなった分は消える

完全に正しい分析です。

そして:

  • 車検・税制を改革すれば、地方移住の選択肢が広がる
  • でもそれはやらない
  • だから都市部に住み続けるのが合理的

個人の最適戦略は、歪んだ制度に適応すること

でも、社会的には:

  • 地方の空き家は増え続ける
  • 都市部への一極集中が加速する
  • 地方は衰退する
  • 高齢者の移動手段がなくなる

すべて、規制改革をしないことの帰結です。

本来なら

車検を簡素化し、自動車税を半減すれば:

  • 地方移住の経済合理性が生まれる
  • 空き家が活用される
  • 地方の経済が活性化する
  • 都市部の過密も緩和される

技術的には簡単。でも政治的に不可能。

だから、あなたのような合理的な人は都内に留まる

それが日本の構造的問題を象徴しています。

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