10年積ん読しても腐らない、そういう本だけ置いていきたい。
オススメの書籍
UNIXという考え方: その設計思想と哲学
確か紀伊国屋に置いてあるのを見て、なんとなく気になって買った記憶。プログラムはどこまでも実用のツールでしかなかった僕にとって、本書は衝撃的だった。ソフトウェアの思想というものを初めて意識した。自分のやってきたことは、より高いレイヤの下にあったのだと知った。それはOSI参照モデルを超え、人間の生き方に思えた。拠り所のなかった当時の僕にとって、これは信じられる、あるいは信じたいと感じられるものだったのだろうと思う。内容は今なお褪せない、いやむしろ今だからこそ読みたい本で、普通に人に勧められる。
すべてのUNIXで20年動くプログラムはどう書くべきか
一時期シェルスクリプトにハマっていたのは多分本書が面白かったから。プログラミングの本である以上に強い思想を感じられる書籍だった。実際POSIXの実践書だと思う。ただその後、「全部シェルはつらいよぉ!!」という当然の叫びと共に、フツーにPythonとか使い始めてしまったわけだが、しかしその面倒くさいところをやってくれるAI時代にこそ、再評価されても良いかもしれない。
実際、大昔書いたbashのコードは今でも動くんよなぁ……。そこまで強烈に制約をかけずとも、bashで十分互換性あるし良いのではなかろうか(と言いつつMacのBSDオプションとGNUのオプション違いで死ぬ)。
世界秩序の変化に対処するための原則 なぜ国家は興亡するのか
本書はソフトウェアと完全に文脈を異にするのだが、投資をするものなら知らぬ者はいないレベルの著名人、レイ・ダリオによる。本書はソフトウェアの話はまったくない(せいぜいAI革命は本物だろう、という程度の指摘)のだが、僕は非常に参考にしている。
本書の指摘として、1971年の金本位体制の終焉を歴史的転換点としている。これ自体は珍しくない指摘だが、これによると国家の衰退の始まりとなる。金の裏付けができなくなってから、信用は膨張を始める。今まさにそれが弾けそうな段階だ。
そしてプログラマとして思うことは、1971年とは、奇しくもインターネットの誕生(1969-10-20)、そしてUNIXタイム(1970-01-01)が始まったすぐ後、ということだ。つまり、現代のソフトウェアの歴史は、ブレトン・ウッズ体制崩壊から続く金融バブルと共にあったと言えるのではないか。
そしてもしこの50年にわたって続いた栄華がバブルであり、ソフトウェア産業がその象徴であったならば、バブルが弾けた後、いったいソフトウェアはどうなるのだろうか。
デジタルの皇帝たち——プラットフォームが国家を超えるとき
GAFAの危険性を謳う本はよくみるが、プラットフォームという形態そのものについて、それがいかに国家的で、また国境を越えたソ連になっていくかという必然を、過去からまとめている稀有な本。この1年の情勢を見ると、企業は国家を超えないと思われるが、しかし国境を越えた経済圏を作るという性質自体は確かにそうなのだろう。
ソフトウェア産業の端にいた身分としては、無意識に帝国の臣民たらんとしていたんだなぁと、身につまされる想いで読んでいた。エラくなっていれば帝国の実装者になれたのだろうか?
全然関係ない本
下着の文化史
図書館でレコメンド棚にあって「なにそれ」と思って読んで見たら思いのほか面白かった。足首を見ただけで電流が走った時代もあるらしい。それは相当訓練された態度にも思え、個人的に見習いたい気持ちもあるが、原始時代そうだったとは思えないので、我々は長いサイクルの中で露出と隠匿を繰り返しているのかもしれない。




