備蓄に勝ちも負けもない

なんか例によってSNSで、「備蓄は資産を実物に変える行為だから、資産があるやつに有利でないやつは負け確定」みたいなバズツイが流れてきたんだ。これはあまり良いことじゃない。

まずハッキリしておきたいこととして、備蓄は保険である。

資産という言い方をする以上は投資の観点があるのだと思うが、備蓄の本質は投資ではない。保険だ。保険をかけまくったら勝ち、保険をかけられないやつは負け!と言えば意味不明だと誰でもわかるはずだ。保険をかけるのは、被害を抑えるためだ。死なないためだ。生きるためだ。勝つためじゃない。そこに勝ち負けを持ち込んでしまうのは、競争主義が骨の髄まで染み込んでいる。これもう呪いだよ。

そもそも備蓄が長期間において重要になる局面とは、はっきり言って有事である。今の社会の延長ではない。勝ち負けのレイヤではない。生存のレイヤだ。生きるのに勝ちも負けもあるかよ。一体誰に勝つつもりなんだ。勝ちだの負けだのという言葉が出てくるのは平時の価値観で語っているからだろう。有事の危機感がない。それでは話題として消費しているだけだ。

だいたい平時の口座残高が、有事においてなんの役にも立つというのだろう。長期的な備蓄を問題視する世界線においては、インフラ物流が機能していないところまで想定していると思われるが、その状態で重要なことは、今目の前にあるものを有効に使えるかだ。

そして平時にできることは、その備えをすることだが、それにかかる費用は存外限定的だ。食料には期限があり、金があれば100年保存できるわけではない。資本は所詮人間の契約に過ぎない。人間は自然に勝てない。

それよりもまず家にある防災用品を数えて、使える状態か点検し、食料品と日用品の数を数えて、これでインフラ崩壊し物流の遮断された状態で何日生きられるか計算するのが先だ。そのうえで不足しているものを足していくのが先だ。

しかしそれをやっている人がどれだけいるというのか?偉そうなこと言っているが実のところ僕が何もやっていないことに気づいたのはごく最近なんだ。本当にそうなんだ。それで深く反省した。僕だけじゃなく、多分だいたいみんなそうだろう。実際、この10年ほど、それはいらなかったんだ。結果論だけど。

家にある缶詰とパスタの数を数えることに、金持ちである必要はない。有事はむしろ平時より平等だと思う。その人のやってきたことが、本当の意味で試される。僕はただそれを訴えたい。

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