デイサービスで、送迎後の転倒死亡で業者に責任が求められて1800万円の損害賠償、という判決がSNSをざわつかせていました。
送迎後の転倒死亡で1800万円賠償命令:これではデイサービスは成り立たない | アゴラ 言論プラットフォーム
なにが起きているか
起きていることはそのまんまなのですが、皆様々な言い方をしますけれど、事象としては以下の2点に集約されるかと思います。
- ドアドアで送るべきだ
- しかしそれをやる人手はない
この物理的な制約の現実があるため、業者は「手順の簡略化」と「現在の人手で受け入れられる範囲の数だけ面倒を見る」の二択を迫られます。後者は価格高騰という形で表現されます。
後者のほうが業者としては低リスクなのでそうしたいのは山々だと思うのですが、簡略化はバレなければ問題ない理論があるため、どこかの業者が手を出せば価格優位に立たれ、競争に負けます。なのでリスクが顕在化しない限り前者に寄るものと思います。
で、今回の判決で前者のリスクが顕在化したことにより、今後業界全体で後者になる可能性が指摘されている、といったところかと思います。
今後どうなるか
今後については、業界全体としてリスクをどう受け止めるか次第になるかですが、今より現状認識が重くなることはあっても軽くなることはないと思うので、価格の高騰圧力はかかるのではないでしょうか。
元々構造として人手がないという原理的な不足によるわけですが、制度は石をパンに変えませんし、無い袖は振れないのに対して袖が無いのはおかしいと言われても、袖が生えてくるわけではありません。
したがって、構造的に何も変わらないため、リスクプレミアムがどれくらいかはわかりませんが価格の高騰になるはず、です。価格が高騰した場合、現実にサービスを受けられる人間が減ることになります。
今後もこの流れは続くと思います。価格の高騰を抑えるには構造的にサービスの低下を受け入れられる必要がありますが、そのインセンティブのある主体が政治的影響力を持たないからです。影響力のある司法は現実の実態を考慮せず法の内側に閉じこもり、行政は規制の緩和によって事故が起きたときの責任を嫌がりますので当然嫌い、政治家はサービスの低下などという不人気なことを言いたがるはずもないので、三権がそれぞれ動かずデッドロックです。
その先の考えられるシナリオ
この先にあるのは誰の目にも見える破綻なのですが、そこに至る過程としてまず需要の蒸発を考えます。つまりそんなお金払えないよ、となるわけです。
まぁ問題が可視化されるにあたり、一時的に補助金を振る舞うということはあるかもしれませんが、金を刷っても周辺の産業から人を奪うだけで、それはそれで別の問題が生じるでしょうし、本質的に生産産業ではない介護へのリソースの流出は限界があるでしょう。金が働くのではなく人が働きます。その人がいないのです。
ここにおいて、仕事をしたい業者はいて、仕事をしてほしいユーザもいるのに、取引不成立という状態が生じます。そんな状態あるの、といえばいくらもあります。今人手不足倒産が起きている業界がそれです。ついでに言えば現在の婚活市場もそれです。
しかし需要が本当に消えたわけではありません。ですから、実態としてなんらかの形でそれは応えられるはずです。シナリオは大きく4つ、以下のことが同時進行するものと考えます。というか多分もう現在進行系で起きていると思います。
- 在宅介護への回帰
- デイサービスのアングラ化
- 違法状態の行政の黙認
- 静かに朽ち果てる
それぞれ制度の外での解決(になるかどうかはわからんが)、および解決できずに死亡、というルートです。まぁ結局、一言で言えば制度の形骸化ですね。
あとはウルトラCとして、高齢者限定の疫病が流行って問題そのものが消失する、なども考えられるのですが、非線形の突発イベントをいい始めるとキリがないので、ここではいったん線形的に考えました。
やれること
マクロにはなんだかどうにもならない気がするので、ミクロで対策をとるしかなさそうです。上記なら在宅介護が一番マシそうなので、身内がある方はなるべく身内の面倒を見る、見てもらえるような関係の構築に励むのがいいのかなと思います。僕は結局生涯未婚になりそうなのでどうしたものやら(^_^;)
まぁ資産があれば何かしらグレーな取引はできるんじゃないかと思うので、その場合はせめて金で身を守るしかありません。金が機能しないなら物々交換もあります。あとはとにかく健康第一、ですかね。それができれば苦労しないんですが…。
詮無いべき論
何を言っても詮無いことですけれど、べき論を言えば、介護は身内ないしそれに相当する間柄で、金銭に基づかない間柄で行われるのがもっとも筋がよいのだと思います。基本的には子育てと同じですね。それこそもっとも最小コストで最大のリターンを生み、また問題がおきてもその集団内での閉じた関係の中で終わるためにリスクも低いやり方です。そういう類の仕事はあります。
たとえば電気工事士の山田さんと料理上手の田中さんがいたとして、山田さんが田中さんの家のエアコンを取り付けて、田中さんが山田さんにランチを提供すると、これはwin-winの関係となります。しかし山田さんと田中さんが互いの家で家事を交換し賃金を払い合ったらどうでしょうか。GDPは増えますが、実態としては完全に意味不明で最低なのは誰でもわかるでしょう。子育てや介護は、本質的に家事と同種の交換が難しい仕事です。
いや、でも子育ては学校があるのでは?と思われるでしょうか。子供を学校に預けるのは効率的であるし機能してそうです。つまり子育ては一部サービス化が可能なのでは?デイサービスはそれと違うのだろうか?
これは、学校は規格化が可能だから効率的、という回答になります。学校はこの社会で必要な基礎学力と集団生活の基礎を身に着け、独立への力を養う共通の目的の下に、それなりに一律といえる規格化されたカリキュラムを、年齢で区切られた同質の集団でこなすために、効率的です。
したがって、そのような規格化が現実としてデイサービスで機能するのか、という問いになります。機能していないから問題が起きているのではないでしょうか。
まぁ、出発地点は同じでも、人生の終盤、それぞれの人生という旅を経て、それぞれの到達地点が、行政の決めた要介護度などいくつかの区分で決められるという仮説のほうが、かなり無理があるんじゃないでしょうかね。この個別それぞれ十人十色という点において、やはり介護はどこまでも、子育てと本質的に同じなのだと思います。
結局、最大のコストで最小のリターンになることを、特大のリスクでやっているんじゃないでしょうか。確かに介護の一つひとつの機能を見れば、規格化して提供できる点はあると思います。その点で事業化が間違えているとは思いません。また、その範囲内では、みんなが言いたがるようなテクノロジーによる鮮やかで誰も傷つかない解決も、ある程度はあるかもしれない。その挑戦が無意味とは言いません。
しかしそれは介護全体を包摂するものではなく、やはり基本はどこまでも、まず当人の自力であり、その築いてきた人間関係の話になるのだと思います。お金の話ではありませんね。電気工事士の山田さんと料理上手の田中さんは、お互いに賃金を払い合って家事を交換するのではなく、結婚したらいいのです。
だから僕はもうダメです。本当にありがとうございました。
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