僕はコロナのワクチン打ってないんですが、周りを見渡すとほとんどの人が1回は打っていますね。統計的には、1回以上接種した人の比率は東京都だと8割くらいみたいです。なので5人に1人は打っていないことになるのですが、僕の感覚だと20人に1人もいないような気がします。
まぁそう思うのは、今の僕がいる場所がそれなりに大きな企業で、なんとかリテラシーみたいなのの高い人が多いからかもしれません。もしくは、海外出張などで打つ必要性があったとかかもしれません。あるいは、打ってない人はわざわざそれを言わないからかもしれません。僕もあえて周囲に打ってないことは言わないですし。
ただいずれにしても確実に言えることは、少数派だということですね。まだコロナも収まってはいないんですが、親愛なる日本政府様よりマスクしなくてよろしいとのお達しも出たことですし、私の考えについてつらつらと記録しておきたいと思います。
ワクチンを打っていない理由
僕がワクチンを打っていない理由は、シンプルにリスクとリターンが見合わないと考えたからです。よく知られているように、コロナウイルスは高齢になるほど重症化しやすく、一方若年ではほとんど重症化しません。肺炎のほうがよほど怖いです。もっといえば自殺している人のほうが多いです。また、当時欧米と異なりアジア系での被害はさほど大きくなかったのもありましたね。コロナウイルスの運び屋になりやすいのも、重症化しやすい人と被っているようで、かかりづらい人は保有してもあまりそれを飛ばさないということもよく言われていることです。
つまり、僕の年齢や健康状態だと、ワクチンを打つことによるメリットが、自分にとっても社会にとっても、イマイチ見えづらいと、そう考えました。
一方で、ワクチンを打つことによるデメリットはかなり明白でした。周囲の人はほとんどワクチンを打ったらしばらくぶっ倒れていて、中には水すら受け付けず脱水寸前にまで陥った人もいました。この症状は、私の身の回りでは今に至るまでコロナに実際にかかったどの人よりも重たいものでした。これは私をビビらせるには十分でした。
ということで、メリットがあるのかないのかよくわからんという中で、デメリットのほうはかなりの確度でありそう、と思われ、そのためにワクチンについては見送っていました。少なくとも、仕事を休まねばならないような副反応が当然とされている間は、自分は打つ気はありませんでした。あるいは、コロナが強毒化して致死率が高まったら、打ったと思います。
しかしその後はご存知のとおりで、ワクチンの副反応は相変わらずだし、その癖コロナは感染者数こそ中々減らないものの、重症化する人はそうでもなく、弱毒化がささやかれるばかり。この調子だと、このまま打つことはなさそうです。
身の回りでもかなりの人がコロナにかかりましたが、数日から長くて2週間ほど、鼻や喉がつらいといった感じです。まぁつらそうではあるんですが、少なくとも入院した人はいません。
ちなみに私は今のところ一度もかかっていません。コロナっぽい症状になったこともないです。けっこう出社していますし、絶賛流行りまくっていた時に出張もしましたし(観光地のゴーストタウンを経験しました)、濃厚接触者扱いとなったこともあるのですが。皮肉なもんですね。まぁ自覚がないだけでかかっていた可能性はあります(そういう人が多分一番多いでしょう)。
兄弟揃って
面白いのは、私の兄弟が誰もワクチンを打っていなかったことです。私には姉が二人いて、それぞれ性格もなにもかも全然違うんですが、これだけ周りがワクチンを打ちまくっている中で、揃いも揃って打っていないのは偶然とは思えないですね。恐らく打たない理由はそれぞれ違うんですけれど、行動として打たないという選択をしたことは共通。深いところで、気質が近いんだなぁと、そんなことを思わされました。
ただ長姉は40代半ばを超えていて、かつ今はやめていますが当時介護系の職に携わっていたので、その環境だと私は「通常の環境よりもリスクが高い」と考えて打った気はします。40代は微妙なラインなんだよな。
無意味だったとは思っていません
念の為書いておくと、私はワクチンに効果がなかったとは考えていません。少なくとも2回目までは社会的に一定の効果があったと考えています。いやお前打ってへんやんけという話ですが、正確には2回目までの高齢者のワクチンには意味があったと考えています。最近ワクチンは本当に効果があるのかという話がいまさらされていますけれど、私は今でも当時60代以上は接種すべきであったと考えています。なので、高齢者を優先してワクチンを打ちまくった当時の日本政府の対応は、私にとっては珍しく褒められるものでした。
まーでもこれも、昨今の超過死亡数の増加など見ると、結局爺さん婆さんの余命を1,2年ほど伸ばしただけだったのかもしれませんが……そうだとすると、最後の1,2年を自粛自粛で暗くしただけだったということになり、なんともやるせないですね。
リモートワークの終焉、そしてマスクだけが残った
なんでこんなことをつらつらと書いているかというと、会社もwith コロナということで、今までのように週3回は在宅勤務というわけにはいかなくなるからなんですよね。あーやれやれ。完全フル出社というわけではないんですが、正直もうちょっとリモートワークの比率は増やしてほしかった……。エンゲージメント下がりまくりです。
まぁでも、多少でもリモートワークできる余地があるだけでもまずはありがたく思いましょう。結局残ったのはマスクだけなんて最悪ですからね。まぁ私はマスクは基本的にしませんが。なぜかと言うと、私は日本政府のことを誰よりも熱く信奉しまた信用しているからですねお上の言うことは絶対はいしたくないだけです。
昔なんか金網か看板かでかい音立てて殴ってるやばい親父に、マスクしろやおらお前のこと舐めてんだろおら殴ってみろよおらなどという意味不明な絡みを唾を飛ばされながらされたこともあるので(屋外でマスクする必要はないと厚労省からは出ていた時です、念の為)、お守り代わりに持ち歩いていますが、基本的にノーマスクです。マスクをしないのも、自分にとっても社会にとっても意味がないと考えたからです。そう考えない人がいることは知っています。そういう人はマスクをすればいいと思います。尊重します。
ノーマスクは少数派
ただ周囲を見ると、やっぱりノーマスクは少数派ですね。体感、やっぱり20人に1人くらい。多分ですが、ノーマスクの人はワクチンも打っていないような気がします。その理由は色々でしょうけれど。今マスクをしていない人は、何かしら自分なりの理由があると思います。少数派は常に意思によって支えられています。一方、マスクをしている人は、必ずしもそうすべきだと考えているわけでもないでしょう。これはまぁ、空気なんでしょうね、やっぱり。
今となっては、政府は国民にマスクを外して経済上昇のマインドを取り戻してほしいのだろうと推察しますが、一度醸成された空気は政府にもそう簡単に変えることはできないようです。もちろん影響はしているでしょうが、ファクタの一つに過ぎないんですね。この空気ばかりは、日本という国の特殊性と言って良いのではないでしょうか。
まぁでも空気はどこまでも空気であって、合理的なものではありませんから、時間はかかってもそのうちに変わる転換点は来るだろうと思います。別にノーマスクが合理的だと言っているわけではなく、空気自体が非合理なものなので、どうなるかはわからないが、まぁ無理は続かないだろうという、それだけの話です。顔の半分を隠して生きたい人が、そんなに多いとは思えないですので。
すべては選択ですから
正直、私はコロナで死ぬ可能性より、過労でうつになって自殺する可能性のほうが高いと思います。今まで死を考えたことも何度もあります。いったいその時、誰が私を助けてくれただろうかと、そんなことを思います。いや、いいんですよ別に。私のことなんて、かまってくれる必要はありません。すべては私の選択です。それがたとえ理不尽でも、他に選択肢がなかったとしても。ならばせめて、その選択については、多少尊重してもらっても罰は当たらんだろうと、そのように考えて生きております。
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