Q「何故息を吸うのですか?」

A「はぁ、生きているからですかね」
Q「なぜ生きていると息を吸うのですか?」
A「息をしないと死にますが」

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Q「息をせずに死んだ人がいるんですか?」
A「窒息死した人とかそうなんじゃないですかね」
Q「調べましたか?」
A「知らないですけど……まぁ、検索したらこういう事件がありますね」
Q「死ななかった人がいる可能性は?」
A「息を吸わないと死にますよ」
Q「そう言えるのは何故ですか?」
A「何故と言われても、現に死んでますし」
Q「息は吸うだけで吐かないのですか?」
A「吐きますけど」
Q「息は止められないのですか?」
A「少しの間なら止められます」
Q「人はどれくらい息を止められますか?」
A「さぁ……長い人は長いんじゃないですか」
Q「あなたは長く息を止められますか?」
A「どうでしょう……わからないですが、平均だと思います」
Q「本当に?」
A「多分」
Q「何故息を止めますか?」
A「え、いや、止めないです。」
Q「息をしていたら時間がたちませんか?」
A「はあ、たちますね」
Q「それでも息を吸うことによるメリットなんでしょうか?」
A「メリットですか……息を吸ったら……まぁ、生きられますよね……」
Q「なるほど、つまりあなたは、生きるために息を吸っているのですね?」
A「…………」
Q「では、息を吸うことの目的と、それによって得られるものと失うものを整理しましょう」
A「息を吸う目的と言われてもよくわからないです。得られるものも失うものも特にないと思います」
Q「ここまでのお話をまとめると、息を吸う目的は生きることですよ。そして、息を吸うことによって生を得られる一方で、時間を失うのだと思いますね」
A「はぁ」
Q「違いますか?」
A「さぁ……」
Q「……」

なぜこういう問答が起きるかと言うと、QとAの前提が異なるからだ。このケースでは、Aにとって呼吸は当たり前のことだが、Qにとってそうではない。もしQが呼吸をしない生物で、またAがQは呼吸しない生物だと知らない場合、こういう禅問答が起きる。実際、現実世界において存外よく起きている。

こういう問答において、QもAも「どうも話が噛み合っていない」という実感だけはある。したがって、その感覚を頼りに、互いの前提に立ち返る必要がある。Qが気づかないならば、「何が聞きたいのですか?」とAは質問に質問を返さねばならない。Q側がA側より立場が強いなどでA側が何も聞き返せないと、色々とつらいことになる。

この問答は論理的思考力のある人たちの間でむしろ起きやすいことだと思っていて、何しろ前提が異なる以上いかに理屈を深めたところですれ違うばかりだ。我々は論理的に説明できないことも「違和感」として感じることができるのだが、高い論理的思考力がその違和感に素直に耳を傾けることを阻むこともしばしばだ。

だが考えてみると、前提を共有している状態を当然と考えるのは非常に危険である。特に相手に何か聞くときは、「この意見の前提は何だろう」という疑問を常に持っておきたい。

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