心理学への関心

最近、柄にもなく心理学なんて題する本を読んでいる。別に柄でもない、なんてこともないかもしれない。元々自分はそういう方面の話が好きであったし。ただ生半可な知識をもったところで、それが実際に活かせるわけでもなく、それよりかはより実用的な知識を学ぶところに重きを置いてきたし、それ自体は間違えていなかったと思う。

ただまぁ、曲がりなりにも30年以上生きてなんやかんやと経験も積んできたし、そろそろ一度落ち着いて、人の、自分の内面的なところを、よくよく考えて見てもよいのかなぁ、なんて思う。

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興味はあった

最近「あどにゃーのお悩み分析」というWebサービスのお手伝いをしていて(「悩みを分析して、解決を目指すWebサービス「あどにゃーのお悩み分離」のお手伝いをしました – 或る阿呆の記」)、これは心理学的な内容を含んでいるから、ちょっと自分も心理学を嗜んでみようかと、本を読んでいる。元々その方面に興味もあった。

自分は昔から不安定な人間で、負の感情を腹の底に溜め込んでいた。抑えつけた感情は今にも噴出しようとするマグマのようで、それはひどく自分を苦めるものだけれど、だからといって爆発させるわけにもいかない。いったい、生きるとはこんな苦しい思いをしないといけないものなのかと、その感情の源を解き明かしてくれる……かもしれない心理学に興味を持つのも自然なことだと思う。

とはいえ、心理学的なところは学校教育においては高校の倫理くらいでしか学ぶところがない。センター試験の受験科目で倫理を選択しない限り、まぁそんなことを学んでも学生的にはおいしくないわけだ。そしてもちろん、働き出してからそんなものが直接的に役立つようなこともない。また、独学・座学で学んだところで、それで何かがわかるようにも思えなかった。

そういった理由で、結局体系だって学ぶことはなかった。加藤諦三の著書などは何冊か読んでいたが(これは母も好きでよく読んでいたそうで、それを知った時には血筋を感じた。私の性格は、母譲りなところが大きいらしい。以前は父4母6くらいの評を身内から受けていたが、最近はもう少し母寄りであるように言われる)、まぁその程度だったと言える。

今さらということもないだろう

だから今さら心理学の本を読もうなんて思う自分に驚きなのだが、まぁでも今だからこそそう思うのかもしれない。働いて自活している身の上でそれなりの修羅場も経験し、今も現場の様々な困難に懊悩している自分ならば、本を読んで学べることを、自分の経験と照らし合わせることで、頭でっかちではない生きた知識として吸収できるように思える。そうすれば、今のこの苦しい感情についても、なにかしらうまい対応が見つけられるのではないだろうか。そんな風に思う。

ということで、なんとなく心理学っぽい本を読んでいる……といっても、今は雑学的な一般書をさらさらと読んでいるだけだ。学んでいるというのもおこがましいくらいだ。まぁでも、別に心理学をきっちりと学びたいというわけでもないので、別にそんな立派な本を読む必要もないのである。読んだところでわからないだろうし。

それでもけっこう面白いもので、読んでいるとなるほどと思えるところもあり、関心をもったことについて、このサイトでも取り上げていこうかと思っている。というより、本当はこの記事はまず考えさせられた「怒り」の感情について書くはずだったのだが、だらだらと話が長くなる私の悪癖が出てしまい、前置きだけで一記事として十分な文量になってしまった。

まぁそういうことなので、これからはこのサイトにも技術的なことからかけ離れた話が増えていくものと思う。なんでもアリの雑記ブログ万歳だ。

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