人間性は支出に出る

どんな事でも評価は難しいものだけれど、その中でも人物評価ほど難しいものはなく、辛酸を舐めてきた。お金の出入りは非常にベーシックな評価手法だと思うが、特に支出の中身を見ることは、思っていた以上にその人のことがわかるものなのだなぁと思う。

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支出は自分の意思、収入は他人の意思

収入より支出にその人が表れる、とは恐らくたいていの人が共有する価値観だろう。極端な話、親の資産を受け継いで、何もせずとも毎月定期的な収入を得るが故に、働きもせずうまいものを食って寝るばかりの人間は、いくら資産があってもやはり評価できるものではない。逆に、働き口に恵まれず、収入が低かったとしても、その稼ぎを子供や周囲の人たちのために使う人がいれば、その人はきっと素敵な人だろう。

とはいえ、これは極論である。ドラマのようなドラ息子も近隣の聖者もあまり友人・知人にはいないものだ。親しみがなく、ピンとこない。

だからもう少し卑近な例で考えて見ると、家計簿が良い例だろうか。家計簿の収入の欄と支出の細目の欄、あなたという人間が、あなたの一家の特徴が出ているのはどちらかと問われれば、たいていは支出と答えるだろう。月いくらの収入です、という情報よりも、食費や住宅費、教育費、趣味にかける費用など見るほうが、余程その人を考える上で重要な情報だ。

支出はその人の意思で決定される。だから、その人が何が必要で、何が大切だと考えているのかが如実に表れる。それは第三者から見て必ずしも合理的なものではない。収入はそういう他人の意思が反映されたものなので、不可解に思えるところが多くなる

思い出の支出

たとえば、”思い出”に基づく支出と収入。「亡き夫との思い出に…米90代女性、独ケルン動物園に24億円寄付 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News」という記事で、女性は自分の”思い出”に従って24億円もの寄付先を決めている。話を聞いた園長が「椅子から転げ落ちそうになった」というオチまでついて、ちょっと素敵な話だ。しかし、この寄付が経済的に合理的な判断かというと、そうでもなかろう。というより、経済的にはまったく不合理な話だからこそ、このニュースからはどこか暖かみを感じられる。思い出、プライスレス。

思い出は当人にのみ価値があることなので、当人の支出に意味はあっても、受け取り先にとっても同じような意味をもつとは限らないわけだ。

収入と支出の不釣り合い

こういうミスマッチは他にもある。コダワリがないゆえに適当に目についたものを購入した場合や、知識不足故に高額な商品をそれと知らず購入してしまう場合なども、収入と支出の不釣り合いを招くケースだろう。自分の支出を見ても、馬鹿な買い物したなぁというのはよくある話。

馬鹿な支出は自分の馬鹿さ加減を示すかもしれないが、ではそれによる収入はいったい何を示すのだろう。そもそも、支出を分析して馬鹿な支出をあぶり出すことはできても、馬鹿な収入などというものは果たして分析してわかるものだろうか。ってか馬鹿な収入ってなんだ。収入は収入である。

そういうアレコレを考えてると、収入にはよくわからない要素が多すぎるので、最終的に「運も実力の内だよ」としか言えなくなるわけだ。それだったら、支出を見たほうがその人(あるいは組織でもよい)がノイズを排除できてよくわかるというもの。

金の使い方が大事

何が言いたいのかというと、いくら予算を取ってくるかよりも、その予算をどう使おうとするかに、その人が本質が表れるということだ。そのとおり。嫌なことがあったのである。まぁでも、それで終わってしまっては何なので、何故嫌な気分になったのか、敷衍的に考えてみた次第である。

書いていると、なんだかすごく当たり前のことを書いているような気がしてきた。十年前の自分に言っても「あーそりゃそうだろうね」くらいの反応しかしなさそうだ。しかし、ここ最近で非常に強く思ったことでもあるんだよ。

まぁそれもこれも他山の石。翻って自分はどうだろう。家計簿を見ると、実につまらん金の使い方をしているじゃないか。良い金の使い方を出来るよう精進したいものだ……と思った矢先に、Wikipediaのオッサンから例の催促のメールが来てしまってどうしよう。一度寄付すると何度も来るんだあのメール。なんだかなー。

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