人間というのはどうも、自分のやってきたことの範囲でものを考えたがるようで、僕もしばしば、そのようにして世界全体を見る傾向があります。その一つとして、僕にとってアナログとデジタルの違いは、僕の人生観・世界観にも大きな影響を及ぼしている一つの見方となっています。
たとえば、僕は社会の仕事について、周波数のように捉えることがあります。
周波数において、1Hzと2Hzはデジタルにおいて独立しますが、現実のアナログな1Hzと2Hzは必ずしもそうではありません。帯域には必ず幅があります。隣接した周波数には影響を及ぼします。スプリアスがあります。ノイズフロアがあります。
人間の仕事というのも、本来的にはアナログに近いもので、自分の役割というピークを持ちながらも、そこには隣接した仕事ではない何かがあり、ノイズがあります。なんなら実はそちらが本体まである。その連なりが、社会全体の定義されないあらゆる周波数を救ってきたのだとも思います。
この幅を、明確な境界線を持ってカットし、デジタルに近いふるまいに見せかけるものがあります。それは仕組みとかシステムと呼ばれるものです。境界線は責務などと表現されます。
元からデジタルのプログラムならばそれもいいかもしれません。ですが、人間社会においてそれは定義できない領域や関係の切り捨てを意味します。制度上はそれで美しく管理できても、世界から1.4142Hzのなにかが消えるわけではありません。1Hzと2Hzは制度上独立していても、現実には影響を及ぼしあいます。
僕のやってきたことを振り返ると、まぁ広義のシステム屋に入ったかと思いますが、それにも関わらず「仕組みで解決」なんて聞くとお腹がムズムズしてくるのは、頭の中にこういうアナロジーがあり、そして僕自身もまた取りこぼされた社会的無理数という自覚と、それでも社会の中に在るという認識のためでしょう。
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