プランニング再開 それにつけても政治は見ているだけでしんどいものだね

すごくどうでもいいことだけれど、日記系のジャンルを作成し、記事タイトルから日付を排除した。タイトルに日付を入れることにはいくつかの利便性もあるのだが、鬱陶しさのほうが上だった。投稿日からある程度類推はできるのだし、しょうもないかなって。

しかしなんだな、読み返してネガティブなことばかりで、嫌になって、全部消そうかと思った(というネガティブ)。

記事

政治は見ているだけでしんどいよ

僕は例の不正会計問題をずっと注視している。色々な観点があるが、僕の関心の切り口は税金の使われ方だ。わかってはいたが、それにしても目の当たりにするとひどいもので、閉口する。不正化どうかはもはやさほど問題ではないように思う(もちろん不正ならお話にならないが、不正でなくても……)。しかし今となっては、あまりにも高圧的で権力的で党派性に満ち満ちた邪悪としかいいようのない剥き出しの政治こそ関心の的である。

正直、見ているだけでゲロを吐きそうだ。僕はつくづく弱い人間だと思う。確かに今戦っている彼らが相対するものは邪悪なフリーザ一味で利害が一致するために応援する気持ちこそあれど、戦う彼らのこともまた、戦闘力5のゴミである僕には本質的に理解できない戦闘民族だとも思う。文字通りの”懸命”に戦う様には敬意を払うが、とても近寄れない。特に意味もなく流れ弾で死にそう。見ているだけでしんどいのでフォローしたり外したりしている。できれば二次的にツイートが回ってくるくらいであればいいと思う(僕以外にもそれなりに関心を持つ人も一部いるので、その人経由に絞ろうかなぁ)。

もっとも、それくらい激しい人でなければとっくに潰されていただろう。相手側の対応に対して、普通にやっていればここまで大事にならなかったのにという人もいるが、それは違くて、今までと同じようにやった結果なのだ。もし喧嘩の相手をいちいち選ぶさかしさがあったなら、そもそもあそこまで大きくはなっていないだろう。投資でも、負けるまで勝つ人がいるね。今まで、手癖で殴ってきたんだ。殴る才能と、権力の臭いを嗅ぎ分ける力があったんだろうね。そういう人はいる。殴り負けするまで、殴り続けるんだよ。100人がそうすれば、1人くらいは成功する。トーナメント制のじゃんけんみたいなものだ。

そうして、戦闘力5のゴミである僕らにまぎれた、流浪の戦闘民族にも同じようにやってしまったというわけだ。流浪の戦闘民族はパッと見一般人だし、立派な肩書もないしね。でも戦闘民族だ。しかし引けない。引き方を知らない。ここで引くようなら、これまでの成功もなかっただろう。

いくとこまでいくんだろうが、いったいどこまでいくのだろう。

遺書が流れてきた

TLに遺書が流れてきた。有名なYouTuberだったらしい。年齢は僕とほぼ同じ。一つ下かな。

遺書。みんなさようなら。とある発達障害者の終末記録。 – ピピピピピの爽やかな日記帳

長いので全部読み切れていないが、最後の命の灯火で書かれたもの、ちゃんと最後まで読みたいと思う。この方は「無敵の人になれなかった」と言っていて、特にそこはとても興味深い。なりたい気持ち、少しあったのだろうか。ならなくてよかったんじゃないかなと思う反面、そうして失いたくないものができてしまったがために、自ら……とも思えて、そうするとなんともやるせなくて、つらい気持ちになる。

まだ途中。読んでいく。

開発

プランニングを始める

二人だけだが、仕事でまたなんちゃってスプリントプランニングを始めた。ストーリーポイントを見積もり、実績からベロシティを算出し、ベロシティを元に予定をたてる。この一連の流れを、メンバとやることが大事だと思う。

ツールもメソッドも補助具に過ぎない。重要なことは、当事者意識を持って、チームのために自律的に動き、求められる成果を現実にあげることだ。一連の作業を通じて、タスクをこなしていく喜び、難しさ、そのために必要な自律的な動きの理解に繋がればよいのだけれど。

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